私は当時小学生でした。
10年前の今日
東京ではありますが
今まで経験したことのない強い揺れを感じ
恐怖を超えて
本当にここは私の知っている世界なのかと
疑うくらい言葉では表せない経験をしました。
お母さんが学校まで向かいに来てくれて
これは現実で起きていることなんだと
いつも頼りにしている学校の先生や
学校の外を出てからすれ違う人達の様子を見て
本当にとんでもない事が現実に起きているんだと
幼いながらに状況を把握しようと
気持ちも心も頭も全ていっぱいいっぱいでした。
どのくらい揺れたかも
何度揺れたかもわかりませんが
小さな机の下から見た景色には
今にも割れそうな勢いで窓ガラスが揺れていたり
自分の力では浮いてしまいそうなくらい揺れたこと
今でも昨日のように覚えています。
あれから10年
10年も前とは思えないくらいに
私はあの日の事を鮮明に覚えています。
去年、コラムの方で書かせてもらったのですが
今の私たちに出来ることは、
あの日の経験を未来に伝えていくこと
そこから得たことを実現していくことです。
いつ起こるか分からない
何事も本当にそうだと思います。
何気ない日常は当たり前の事ではないと
感じる事が沢山あります。
誰だって誰かにとっての大切な人
どんなものだって誰かの大切な宝物です。
大切なもの
大切な人の為に
日々、周りの人達と話し合い
防災意識を1人でも多くの方に持って頂く
きっかけにこのブログがなれば幸いです。
東日本大地震で犠牲になられた方々の
ご冥福をお祈りするとともに
被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
2021/03/11 乃木坂46 寺田蘭世
コメント(320)
10年前は僕も当時小学生だったので、あの揺れはその当時経験したことがなく、想像をはるかに上回る揺れでした。
テレビをつけて状況を確認しても、理解にかなりの時間がかかり、パニックになったことを覚えてます。正直なところ、完全には理解出来てなかったかもしれないです。
あれから10年、ここ数年においても大きな地震が各地で起こっていて、先月の大きな揺れで改めて気をつけなければならないと実感しました。
備蓄なども確認して、いざというときに動けるように
蘭世さんのブログやコラムなどでの発信力や言葉の力は凄いものです。
もう10年、まだ10年と通過点の部分が大きいと思うので、意識を高く持つことが未来にも繋がっていくことですね。
震災の教訓を伝え、未来に活かして行くことが大切なんだと思います。
犠牲になった方や被災された方の悲しみ苦しみを無駄にしないためにも。
そして私達の癒やしになってくれている蘭世ちゃんにも感謝しています。
僕は福島県民です
あの日から生活が一変しました
今なお震災前には戻っていませんが
少しずつ少しずつ復興させていくのが
僕たちのやるべきことなのかと思います
あの日の教訓をしっかり伝えていくことが使命かと思います
心からご冥福をお祈りします。
ぼくは岩手県出身です。
今でも津波の映像を見ると心が痛みます。
あの時のことはぼくも鮮明に覚えています。震災数日前の余震より強い揺れ。これはやばいとすぐに感じました。あの時は本当に本当に不安しかなくて怖かったです。家に帰ったらあらゆるものが倒れていて、ニュースをみてことばを失いました。家族と会えるのかそんな思いもありました。あの時期は辛かったし、先が見えませんでした。しかし、年数が経つにつれ復興が進んでいくのを現在進行形で見ながら、少しずつですが希望が見えました。小学6年生の時に学校行事として沿岸を訪れた際には同じ県とは思えないほどの光景が広がっていました。その時思ったのは、現地の人たちが頑張って生きようとしてるのだから自分たちも前をみて進んでいかなければいけないということでした。その年の学習発表会では被災地で学んだことを生かしてどのように防災対策をすればいいのかを全員で考えながら発表しました。嵐さんの「ふるさと」という曲を歌いました。当時の僕たちには心に染みすぎて、涙を流しながら歌う人たちもいました。それからもたびたび沿岸を家族で訪れています。奇跡の1本松に去年の春行きました。陸前高田の道の駅にも。そこでの津波伝承館は込み上げるものがありました。忘れてはいけない。伝えていかなければいけない。そういう思いが強くなりました。
今、岩手県を始め東北は震災から10年が経ち、映画館では「たゆたえども沈まず」という作品が公開されてます。この作品は、テレビ岩手が沿岸部を取材したリアルが映されています。あの日を忘れさせないためにも必要な作品だと強く感じました。この作品は全国の人たちに見てほしいです。
10年が経って復興はだいぶ進みましたね。しかしこれからももっともっと進んでいくのだと思います。20年、30年経って沿岸部はどのようになっていくのか少し楽しみであります。
僕も今日という日を決して忘れては行けないと思います。いま生きてる幸せをしっかりと噛み締めこれから先の復興を願います。
人との出会いを大切にしようと心から思う経験にもなりました。
蘭世さんが防災意識を高く持ってて下さり、このようにブログやモバメなどで広めてくださってるので多くの人たちに防災意識というものが身についてると思います。ありがとうございます。ぼくは被災地にいたからこそ防災意識を強く持っています。いつなにがおきるか本当にわかりません。なのでとても大切ですよね!これからも続けて欲しいです。よろしくお願いします。
頑張ろう東北!!
この日のことについてのブログをあげて下さりありがとうございます。
体調に気をつけてお仕事頑張ってください!
わたしも東日本大震災の時小学生でした。
建物が傾いて壊れてしまうのではないかと思うくらい
経験したことのない地震だったのをよく覚えています。
あの時はただ不安で、防災の知識も一切なかったので自分で調べるようになったきっかけでもありました。
これからも何気ない日常を大切に過ごしていきたいと思います。
毎年、この想いを繋いでいきたいですね。
私より若い貴女がこうやって動いてくれているのを、とても誇らしく思います。
自分は当時小3でした。
何が起きてるか全くわからなくてただただパニックだったのを覚えています。毎年この日になると今の自分に何ができるかと考えさせられます。
いつも蘭世には沢山の元気をもらっています。
自分もいつか蘭世のように沢山の人に元気を与えられるような存在になって、大切な人を守れるようになりたいです。
いつも元気をくれてありがとう。
ブログありがとう。
毎年この日にブログやメディアで意見を書いてくれる蘭世の姿勢を尊敬してます。
風化させない伝えることが必要な出来事。
当事者とそうでない人との向き合い方に違いはあると思うけど、後者である自分の役割を再認識する日として、今日と向き合いたいと思ってます。
またね。
僕もあの当時は小学生でした
静岡では揺れは感じる人と感じなかった人がいて
自分は気づかなかったタイプです
それも外でサッカーで遊んでたこともあるけど
周りが騒がしくなり家に帰り、テレビで見たものが現実なのか夢なのかわからなかったことを覚えています
親戚の人にも連絡とれないなど不安なこともありながら震源地から離れていても怖さを感じてました
自分の地元の静岡は東海地震がくるとよく言われていて小学生からもしかしたら保育園ぐらいから避難訓練、防災訓練をやっていたと思います
蘭世はどうだったのかな?
だから地元柄か幼い頃から防災意識はかなり高く
今も地震がくるのではないかと思ってるくらいです
今は看護師を目指していて、災害現場で活躍できるようになりたいという希望があります
蘭世もこれから長く生きると思うし
生きてる限り、地球にいる限り、災害大国の日本にいる限り災害は避けることができないものだと思ってます、だからこそ生き抜くために防災意識を常に高く持つ必要があるのだと思います
蘭世の防災意識の高さには尊敬します!
これから災害で命が失われないことを願うことと
蘭世の健康を願うばかりです
本当にその通りだと思います
蘭世ちゃんはこうやって震災のことや献血のことなど社会的なことに目を向けてファンに語りかけてくれる
何気ないかもしれないけど関心がなかった人が気づいたり考えたりする素晴らしい機会を作ってくれています
可愛いだけじゃない素敵な蘭世ちゃん
これからもいろいろなことを私達に伝えてください
蘭世ちゃんが今日も生きてくれていることに幸せを感じています。
元気をくれてありがとう。
人生にいつ、何があるか分からないからこそ、
大好きな蘭世ちゃんと一日一日を一緒にがんばろう!って
勝手に、思いながら過ごしてます。笑
上からに聞こえてしまうかもしれないけど
ゆっくり休むときは休んで、お体に気をつけてね。
今までも、これからも、応援しています。
大好きだよ。蘭世ちゃん。
寺田さん、ありがとうございます。
3.11は、私たちにとって、忘れてはいけない日だと思います。
初めて話すのですが、
私は、この時、都内より帰省し、たまたま地元にいたのですが、
地元でも、揺れたり、報道は少ししかされなかったのですが、
津波もあって、亡くなった方もおられました。
勿論、帰りの交通機関はなく、暫く地元にいて、
復旧次第、帰った記憶が今でも甦ります。
「命を守ること」「自分に出来る事」「大切な人の存在」を改めて気づかされた日では
ないでしょうか…。
被災された方、余儀なく復興住宅や避難されている方に
お見舞い申し上げます。
いつも元気を貰っている乃木坂の皆さんに感謝します、ありがとうございます。
3月11日ですね
私は関東から地元青森に帰って転職し
新たな職場で働き初めの矢先に被災しました
作業中でしたが数分の違いで大事故になる可能性を回避し揺れが止まった後は信号機が停電している状態の道路を運転し市街地を避けて迂回し会社までたどり着いたのは夜の19時くらいでした
10年、、あっという間でした
あの時の記憶、経験、改善すべき所
災害に対する危機感や対処、危険予知
またまだできることを探し考え
助け合って生きていく事の大切さを再確認する日
決して忘れてはいけない大切な日です
私には発信する力はありませんが
蘭世ちゃんはなんらかの形で言葉を世に届けることができる人だと思います
メロディーや歌声、詞もその1つだと信じてます
ここにいない誰かのために
今何が出来るのだろう
一緒に皆で考えましょう!!
その力が集まったらきっと素晴らしいですよね✨
私はあまり先がありませんが、あなたの様な若い方がいらっしゃる事がとても嬉しいです。
これからも変わらずご活躍されますよう願っています。
経験したことのない、激しい地震でした。
恐ろしく長く揺れが続きました。
停電になって、作動しない信号を見ながら帰った覚えがあります。
電気が復旧して、テレビで見た恐ろしい光景。
さらに、コンビニやスーパーには商品が入らなくなり、不自由な数日間。
自然の怖さを知りました。
1923年9月1日の関東大震災が起こった日が、現在の防災の日に指定されています。
災害の怖さ、それから得た教訓などを、後世に伝えていくのが、体験者の使命だと思います。
私も当時小学生で、たくさん怖い思いをしたことを今でも覚えています。
私は、福島出身で、東北のために、何ができるのかを考えています。
10年経ったけど、復興にはまだまだ時間がかかりそうな場所もあります。
震災を経験していない世代も出てくるので、伝えていかないとなとこの
ブログを読んで感じました。
経験した身として、震災を忘れない、そして伝えていきたいと思いました。
お身体に気をつけてこれからも頑張って下さい!
応援してます☺️
みんなの命は大切な命なんだからね
そうだね。
絶対に風化させちゃいけないし。
これからも語り継がれていくことだもんね。
何年経ってもこの出来事は永遠だもんね。
いつだって蘭世の言葉が励みです。
持てるもの全て使って精一杯発信している姿に
感心するし尊敬します。
僕も当時小学生でした。名古屋に住んでいましたが、周りの人が気づいている中僕は気がつかなかったことを覚えています。
今20歳になり、山口で地学について勉強しています。勉強すればするほど地震を予測したり、止めることはできないことを痛感します。
だからこそ、1人1人が準備をしなくてはなりません。何よりも命優先で。生き延びた人にはそれぞれ生き延びた理由があり、その1つに教訓を後世に伝えるということがあると思います。
蘭世さんのような発信力がある人の手伝いができるように自分なりに頑張っていきます。
それではまた。!
東日本大震災から10年経ちましたね。
僕は当時沿岸部で仕事をしていました。
地震にあい津波に流されました。
でも、奇跡的に助かりました。
節目と言われていますが、まだまだ10年、20年復興は続くと思います。
見守っててもらいたいし、コロナが落ち着いたら東北来てもらいたいよね♪
東北には美味しいものが沢山あるからね!
蘭世ちゃん!災害はいつくるか分からないからね。
家族全員で防災の意識を高めていきましょう。
珍しく仕事が順調に終わって金曜日だし定時で帰ろうと思ってたところに激しい揺れに見まわれました。
あ、職場は都内です。
千葉県にあったコンピュータセンターが停電になりコンピュータが止まってしまったため復旧まで帰れず家に帰れたのは翌日の夜でした。
被災された方の事を思えば苦労でもなんでもなかったのですが、「人生何が起こるか分からないから楽しもう」って思ったのを覚えています。
あの日から、私以外の多くの人にはなんでもなかった日が日本にとって大切な日になりました。
今蘭世を楽しく応援できている事を嬉しく思います。
出会ってくれてありがとう。
お言葉の全部に
共感の限りです
蘭世、今まで生きてくれて
よかったですって声
心の奥から響いています
その時、台北から東北の現場に
ボランティアを志願したかったです
台湾の経験を通して、
現場に向かおうしてた
ボランティアの方のお誘いでした
力不足で
行けなかったけど、
いつかから
毎月東北復興、子供たちの支援などに
寄付しております
ずっと
自分に関わらないことだと思ってません
忘れていません
一緒に頑張りましょう
2021.03.11 19:13
僕も震災の時は小学生で被災はしてないけど揺れていた記憶があります。
僕もこの記憶を忘れずにそして当たり前のことが、幸せだというのを忘れないようにしていきます!
僕の住んでる神奈川の方でも恐怖を感じる程の揺れでした。
幸い自分と周りの人達は無事でした。
今を生きて、何気ない日常に感謝しなくてはですね…
蘭世ブログを読んで考えさせられました・・・
東北の復興と皆さんの幸せを願ってます。
いつも応援しています。
僕の家も防災用のものを買おうと思いました。
お言葉の全部に
共感の限りです
蘭世、今まで生きてくれて
よかったですって声
心の奥から響いています
その時、台北から東北の現場に
ボランティアを志願したかったです
台湾の震災経験を持ち、
現場に向かおうしてた
ボランティアの方のお誘いでした
力不足で
行けなかったけど、
いつかから
毎月東北復興、子供たちの支援などに
寄付しております
ずっと
自分に関わらないことだと思ってません
忘れていません
一緒に頑張りましょう
2021.03.11 19:13
やアイドル界だけでなく、様々な方面に
目を向けてきたらんぜちゃんだからこそ
話せることがありますね。
担当編集者から、らんぜちゃんは自分の
言葉を持っていると言われるくらいだか
らこそ、伝えられることがあります。
今をときめく乃木坂46のメンバーが震
災を忘れない事に、どれだけ大きな意味
があるか。
メッセージありがとうございます!
伝えゆくこと、そしてできるかぎり繰り返さないこと、
心にとどめたいと思います。
蘭世さんのように実際の経験を語ってくれることで、それがまた誰かの心に届き受け継がれ、その一つ一つ、一人一人の想いが重なり合い、犠牲になられた方々の魂も一緒に未来へと繋ながり、命を再生して、復興のさらにその先へと進んでいくことになると思います。
伝えてくれてありがとう。
蘭世ちゃんを応援できる喜びを噛み締めます。
そこから得たことを実現していくこと
その通りですね。被害の大小こそあれ、当時の経験、感じたことを今後に活かしていかないとですね。
ありがとうございます!私も、もう一度思い出してみます
いつも応援してます(^^)v
ありがとう
ぼくも埼玉住まいですが、部活の練習中に経験したことのない揺れを感じたことを鮮明に思い出せます。ただ暮らしていると目先のことにあくせくして、あんなことが起きたのに忘れてしまったりします。
忘れられたらいいこともたくさんありますが、忘れてはいけないものもたくさんあると思います。それを思い出させてくれる一つが3月11日という日付なのかもしれません。このブログもひとつのきっかけとして、なにが必要なのかを考えようと思わせてくれました。ありがとう。
まだまだ復興には時間がかかると聞きます。現在進行形で苦しんでいる人がいるのに過去のものにしてしまっていた自分が恥ずかしいです。地に足をつけて、大切な人がしんどい思いをしないよう、生きていこうと思いなおしました。(話がやや大仰になってしまいました。。)
ここのところ日常が日常でなくなって、そんななかでも蘭世の活動が、乃木坂の活動が見られて幸せです。
2期生ライブもミーグリも楽しみにしてます!
それがいまの目下のモチベーションでもあります!
蘭世らしく活動してください。
寒暖差があったり、花粉症の季節だったりするので身体に気をつけて、活躍してください。
乃木坂お試し中をみるためにCSも契約したよ!
おめでとう!!
愛してんで!
ブログ更新ありがとう!
おれも当時は小学生で友達と下校中に地震が起きて、急いで学校に戻ったらプールの水が津波みたいになって溢れ出てた光景を今でも鮮明に覚えてるなぁ
おれが東日本大震災を経験したのは小3の頃だけど、今のその小3の子達は東日本大震災を経験していないって考えると、もう自分は語り継いでいく立場なんだなって思う
蘭世も言ってる通り、今出来ることはあの出来事を風化させないために、未来に伝えていくことだよね
モバメもありがとう
アイドルの影響力を素晴らしいことに使ってると思うよ!
防災意識をしっかり持っておかないとね
じゃあまた!
10年たったとはおもえないぐらいです。
地元の報道は、家族がテーマが多く感じれます。
いくら震災に備えても、一瞬で命が無くなれば終わりです。本当に身近な人大切にしたいです。
10年前は幼稚園の卒園式前の出来事だったので、鮮明に覚えてます。
地震はいつ来るかはわからないので、備えは大切ですね。
でも、寄り添ってくれる人がいると安心することも知りました。だから、蘭世さんの今回のブログとても嬉しいです。
蘭世は言葉を持っている人なので!
あの日から10年、当時 私は都内の外出先で
地震に遭遇しました。
都内は直撃ではありませんでしたが
ここには書ききれない数多くの教訓を残しました。
東日本大震災も傷が深すぎる部分があり、
蘭世さんからの想いが込められた
心温まるブログをありがとうございました。
更新ありがとうございます。
今でも覚えてます。当時は仕事休みで家にいて必死に水槽押さえていたと思います。田舎が仙台なので、親戚がみんな大丈夫かとても心配してました。無事でしたが、被害は凄かったですね。
一年後仙台に訪れて松島の海岸沿いを見に行って震災の凄さを目の当たりにしました。どうしても目に焼き付けておきたかったので、親戚に無理いって連れて行ってもらったんだ。親戚は見たくないと言ってましたが、改めて見て良かったと思います。この事を忘れないそして伝えて行く事が大切だと思います。まだ復興途中だと思いますが、少しでも早い復興をお祈りしております。
ブログ更新ありがとう。
俺は地震発生時仕事で車の中でした。
前のトラックが上下左右に大きく揺れて
俺の車も同じように揺れてとても怖かった。
昨日のように思い出します。
車で家に向かったけど1時間の道のりが3時間かかった。
幸い家族は無事でした。
あれから10年、まだ10年。
いつ何が起きるかわからない。
備える事も大切だけど心の備えも
整えていようと思います。
またね
地震当時、愛知県に居ましたがそれでも気持ち悪い揺れを感じました。
10年経ちましたが20年後、30年後語り継がないといけないことだと思います。
毎年蘭世が触れ続けてることで10年前の今日起こったことを思い出したり知らない人たちが少しでも知るきっかけになっていると思います。
私は当時中学生でした。
私も関東でしたが経験したことの無い揺れと、テレビに映された被災地の様子。とても現実とは思えませんでした。
あの日の夜は一晩中余震が続き、怖くて寝られなかったのをよく覚えています。
その後も深刻な物不足や計画停電など、それまでの日常とは全く違う日々が続きました。
日常とは簡単に失われる物なのだと思い知らされましたね。
東北の方は私以上に言葉にできない経験をされていたと思います。
あれから10年経ちましたが、先月の東北での地震は一人で初めて経験する災害でした。
幸い私自身には被害は無かったですが、一人で災害に遭った時にどうすれば良いのか、全く考えることが出来ませんでした。
自然の前では人間は無力なんだなと実感しました。
だからこそ、日頃からの備えや心構え、助け合いの心が必要なのだと思いますね。
蘭世さんらしく発信していってもらって、少しでも多くの人に伝わると私も嬉しいです!
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