おニャン子クラブ解散30周年カウントダウン -元おニャン子たちの現在-③ 岡本貴子

おニャン子クラブ解散30周年カウントダウン -元おニャン子たちの現在-③ 岡本貴子

PHOTO=稲垣純也 TEXT=村田穫
 

80年代アイドルの象徴であり、現在に続くグループアイドルの礎を築いたおニャン子クラブ。来年9月の解散30周年まであと1年を切った今、元メンバーたちに当時の思い出や近況を語ってもらいました。第3回は、中学3年でオーディションに合格し、おニャン子クラブのメンバーや夕やけニャンニャンの出演者から“いじられキャラ”としてかわいがられた岡本貴子さん。現在は2児の母親となり、専業主婦としての日々を送っています。

 
 

ロサンゼルスに行く直前の出来事は
今でも忘れられない思い出です(笑)

 
 

――まずはおニャン子クラブのオーディションを受けようと思った動機をお願いします。

「当時クラシックバレエを習っていたんですけど、毎日のように厳しいレッスンが続いていたので、すごく休みたかったんですね。でも、親がなかなか休ませてくれなくて……。そこで、おニャン子クラブのオーディションを受ければ、1週間は休めると思ったんです(笑)。ちょうど夕ニャン(夕やけニャンニャン)の時間がレッスンと重なっていたので、いい口実になるなと……。あとは、とんねるずさんが大好きだったので、オーディションに行けば会えるかもしれないという気持ちもありました。どちらにせよ動機が不純だったんです(笑)」。

――岡本さんの場合、中学3年の1月に合格したので、中学卒業後の3月に活動を開始しました。その間はどんな感じでした?

「この期間は漠然と夕ニャンを観ながら、『この中に入って一緒に活動するんだな』くらいしか考えていませんでした。でも、周囲からは『あのおニャン子クラブに合格するなんてすごいね!』って何度も言われましたね。クラスメイトの男子からは『よくお前が受かったな』なんて言われたりもしましたけど(笑)」。

――おニャン子クラブの活動が始まってから驚いたことは?

「フジテレビの中にいるとタレントさんをたくさん見かけるので、『芸能人って普通にいるんだな』って一般人のように驚きました! 局内の書店で私の隣に中森明菜さんが来たときのことは今でも鮮明に覚えています。あとは、おニャン子クラブって意外と仲がよくて裏表が無いんだと感じましたね。(おニャン子クラブに)入る前は、友だちと『グループアイドルって絶対に仲が悪くて、楽屋と人前とでは違うよね』みたいな話をしていたので、想像とは違いました(笑)」。

――世間では新田派、国生派なんていう話が出ていますが……。

「全然感じませんでしたね。もちろん、一緒にご飯を食べるメンバーと挨拶程度のメンバーという差はありましたけど、学校のクラスと同じで、距離が近くないから仲が悪いというわけではないんですよ。新田派、国生派は後付けのネタだと思っています(笑)」。


――仲のよかったメンバーは?

「同い年で、活動を始めた時期もほぼ同じだった(渡辺)満里奈ちゃんですね。加入当初は一緒に行動することが多かったので、2人で買い物に行ったり、お泊りに行ったり、すぐに仲よくなりました。でも、当時から満里奈ちゃんはオーラがありましたね! 2人で原宿を歩いていたとき、満里奈ちゃんを見つけたファンが『一緒に写真撮ってもらえますか?』って近寄ってきたことがあったんです。でもその方は私に気付かず、『撮ってください』って私にカメラを渡してきて……。結局、私が写真を撮りました(笑)」。

――夕ニャンでは加入当時最年少ということで、いじられキャラでした。

「よくからかわれていましたね。先輩メンバーから『今日、国生さんにまだ挨拶してないでしょ。メチャクチャ怒ってるよ!』って言われて、あわてて挨拶に行ったら(国生さんが)まったく普通だったりしたこともありました(笑)。でも、一番印象に残っているのは、写真集の撮影とレコーディングでロサンゼルスへ行く直前です!」。

――そのとき何かあったんですか?

「出発の前日に先輩メンバーから『海外は下の毛を剃らないと入国できないんだよ』って言われたんですよ。その当時、私だけじゃなく家族全員が海外旅行の経験がなかったので、みんな信じちゃって(笑)。唯一おじいちゃんが満州にいたことがあったから聞いてみたら、『戦時中だったから細かいことは言われなかったな』という返事だったし(笑)。結局、剃刀を持参して、入国できなかったらトイレで剃ろうと決意したんですけど、翌日、冗談だったことを知って、本当にホッとしました(笑)」。


――先輩メンバーも、まさか本気にするとは思っていなかったんでしょうね(笑)。

「私がおニャン子クラブで活動していた中で一番頭を抱えた出来事でした(笑)」。

――岡本さんはおニャン子クラブが解散する前に卒業し、芸能活動を終わらせました。

「私の友だちもそうだったんですけど、高校生になるとバイトデビューするじゃないですか。そうなるとみんなの話になかなかついていけなくて、普通の高校生活も楽しみたいという思いが強くなったんです。芸能界への興味もありましたけど、1人でやっていける世界ではないと思っていましたし、初の海外や日本武道館でのコンサートなど、普通の高校生ではできない貴重な体験もしたので十分かなと思い、芸能界には残らない選択をしました」。

――おニャン子クラブ卒業後は念願のバイトデビューを果たしたと。

「すぐにバイトを始めましたね! でも、なまじ顔を知られていたので、コンビニやファーストフードなど、同世代の人が集まりそうな場所でのバイトはしませんでした。ファンの方のパワーを肌で感じていたから、ちょっと怖さがあったんですね(笑)。主婦層が多いおにぎり屋とかケーキ屋などでバイトしていました」。

――卒業後も夕ニャンは観ていました?

「もちろん観ていました。やっぱり気になるし、夕ニャンもおニャン子クラブも大好きだったので。だから、おニャン子クラブが解散すると知ったときは本当に寂しかったですね」。

――おニャン子クラブの解散は夕ニャンで知ったんですか?

「確か(夕ニャンの)スタッフさんからの連絡で知ったんじゃないかな? そして、『夕ニャンの最終回に卒業生をゲストで呼びたいから出演してほしい』と言われた記憶があります。最終回は久しぶりにおニャン子のみんなと会えて懐かしかったですね。ただ、残念なことに、ファイナルコンサートには出演していないんです」。


――卒業後もスタッフさんとの接点はあったんですね。

「卒業後どころか、おニャン子クラブが解散してからも繋がりはありますね。同窓会の企画があると当時のスタッフさんから連絡が来るんですけど、常にこちらの状況を最優先してくださるので本当にありがたいです!」。

――ちなみに9月20日(ファイナルコンサートの最終日)は何をしていたか覚えています?

「何をしていたんだろう? ……多分、バイトをしていたんじゃないかな(笑)。少なくともコンサート会場にはいなかったです。今みたいにメールやLINEが無かったから、出演しているメンバーにメッセージを送ることができなくて残念でした」。

 
 

『おニャン子クラブ』の経歴が
どういうわけか『ミス八王子』に

 
 

――その後はどんな生活を送っていたんですが?

「高校を卒業した後は都内の企業に就職し、OLとしての生活を送っていました。ただ、入社当初はやっぱり騒がれましたね。しかも、人事部の方が、どういうわけか私のことを『おニャン子クラブ』ではなく『ミス八王子』と勘違いしていたので、余計混乱しちゃいました(笑)」。

――『ミス八王子』って(笑)。

「私も『ミス八王子』の噂を聞いていたから、『私以外にも八王子出身の女の子が入ったんだな』って思っていたら、どうやら私のことらしくて(笑)。結局、その誤解は解けたんですけど、同期の男の子からは、『新田(恵利)さんってどういう感じ?』とか、色々聞かれました。ただ、男の子とはストレートに会話ができたんですけど、女性の先輩との会話は難しかったですね。人にもよるんですけど、おニャン子だったことを言うと自慢しているように取られるし、『話すほどのことじゃないですよ』と言えば、かわいげが無いと思われるし、女心って難しいんだなと実感しました」。

――ご結婚はいつ頃されたんですか?

「2003年です。相手は同じ職場の方だったんですけど、当時彼は大阪勤務だったので、結婚後は大阪に住んでいました。その後、東京に戻り名古屋に移って、現在は福岡に住んでいます。子供も男の子を2人授かりました!」。

――同じ職場ということは、岡本さんが元おニャン子だということを知っていたんですね。

「知ってはいたんですけど、おニャン子クラブ自体をあまり知らなかったんですよ。実は、彼の家では、夕ニャンはいかがわしい番組だから観てはいけなかったそうなんです(笑)。結婚を決めて彼の家へ挨拶しに行くときにそのことを聞かされたので、すごく緊張しましたね。結果的には事なきを得たのでホッとしました!」。

――やはり結婚したことで人生は変わりました?

「どちらかというと、結婚よりも母親になったときに大きく変わりましたね。結婚しただけでは、まだお互いにそれほど責任感は無かったんですけど、子供が生まれてからは、本当に子供優先の生活になり、『いい家庭を築いていくんだ』といった責任感が芽生えました。主人と二人三脚で子育てをしていくうちに、主人に対する愛情や感謝の気持ちも強くなったと思います!」。


――現在は家族4人、幸せに暮らしていると。

「そうですね。子供が2人とも競技ドッジボールにハマっていて、いつの間にか家族全員の趣味になりました。週末は、子供たちが所属しているチームの応援や練習のサポートで過ごす日々が何年も続いています。子供との会話もドッジボールのことが多いですし、夫婦で話をしていても、最後にはドッジボールの攻め方の話になったりするんですよ(笑)。元おニャン子の中には秋元康さんと結婚した方(高井麻巳子)やキムタク夫人(工藤静香)なんかもいるので、学生時代からの友だちに『劣等感ないの?』って聞かれたりもしますが(笑)、子供も元気だし明るい家庭だし、本当に幸せです!」。

――元おニャン子という経歴が辛いと思ったことはありました?

「先ほども少し触れましたが、バイト先が意外と限られてしまったことですね。それ以外は、自分がおニャン子だったことで辛いなと思うことはほとんどなかったです。私の場合、おニャン子クラブに在籍していた期間が比較的短かったからか、それほど『おニャン子』のイメージがついていなかったんだと思います。おニャン子クラブを卒業した後も周囲の人に恵まれていたし、元々いじられキャラなので(笑)、からかわれることはあっても、不快に感じるようなことはありませんでした」。

――現在は新田恵利さんと仲がいいみたいですね。

「OL時代に新田さんと一緒に取材を受けることがあったんですけど、そのとき2人ともゴルフにハマっていて、一気に距離が近くなりました。結婚して地方在住になってからはお会いできる機会が減ったんですけど、年に1回帰省するので、そのときは必ず会っています。おニャン子時代を知っている人にとっては意外な組み合わせですよね」。

――早いもので、おニャン子クラブも来年9月で解散から30周年!

「おニャン子クラブは偉大なグループだったんだと改めて感じますね。9月20日のイベントや今回の連載など、当時ファンだった方が今でも色々と動いてくださっているので本当に嬉しいです。そこまでの情熱をささげられるものが私にあるかといったら多分無いので、青春時代にそういうものを見つけることができた人たちが羨ましいです。そして、自分の息子たちもこれから多感な時期に入るので、アイドルでもドッジボールでも何でもいいので、ずっと思い続けられる何かを見つけてほしいと思います!」。

――30周年を記念して何かやりたいことはありますか?

「大きな節目なので、みんなで集まりたいですね。今でも新田さんを始め、スーザン(山本スーザン久美子)やゆうゆ(岩井由紀子)なんかとはメールや年賀状のやりとりをしているんですけど、最近全く会えていない元メンバーの方も少なくないので、是非お会いしたいです! もし実現したら当時と同じように、私は後方にちょこんと座っています(笑)」。

――おニャン子クラブを経験したことで、現在役に立っていることは?

「人付き合いですね。ママ友って意外と個性的な方が多いんですけど、周囲から『上手にいろんな人と付き合うよね』って言われるんですよ。それは多分、おニャン子クラブというものすごい個性(笑)の集団の中にいたからですね。出過ぎず、引っ込み過ぎず、その場の空気を読むというコツをその頃に会得したんだと思います」。

――岡本さんにとっておニャン子クラブとはなんですか?

「最高の思い出であり、大切な宝物ですね。たまに振り返ると楽しかったことばかりが思い出されるし、キラキラ輝いていたし……。その後の人生でもおニャン子クラブのおかけだと思うことがたくさんありました。それが今の幸せに繋がっているんだと思います!」。



 


 
 

岡本貴子(おかもと・たかこ)

生年月日:1971年3月16日
出身地:東京都
血液型:B型

 

【CHECK IT】
1986年1月、おニャン子クラブのオーディションに合格し会員番号35番を与えられる。中学3年で合格したため、中学を卒業した3月からおニャン子クラブとしての活動を開始。同年12月におニャン子クラブを卒業。芸能活動を終了し普通の高校生に戻る。高校卒業後はOLとなり2003年に結婚。現在は、2児の母親として専業主婦の日々を送っている。福岡県在住。