PICK UP ACTRESS 藤野涼子

PICK UP ACTRESS 藤野涼子

PHOTO=厚地健太郎 HAIR&MAKE=髙橋幸一(nestation)
STYLING=勝見宣人(Koa Hole) INTERVIEW=斉藤貴志

 
 

映画「輪違屋糸里」に主演
新選組の抗争に関わる芸妓役

 
 

――主演した映画「輪違屋糸里 京女たちの幕末」は、2年前の16歳のときに撮影したそうですが、今観ると、どんなことを感じますか?

「もう懐かしくて、ちょっと恥ずかしいと思う部分もあります。いろいろな人に『ほっそりしていたね』と言われてしまいます(笑)」。

――新選組の抗争に翻弄される芸妓の糸里を演じていますが、初めての時代劇で主役を務めて「16歳の自分は頑張っていたな」と思いません?

「16歳のときに撮ったからこそ、この糸里ができたのかなと思います。2年しか経っていませんが、高校2年生だった当時に感じていたものは今とまったく違う気がします。糸里も16歳で、天真爛漫な少女から徐々に大人に成長していく物語なので、もし今撮ったら、最初の弾けた明るさは出せなかったかもしれません。チラシに出ている茶屋街を走るシーンもそうでした」。

――涼子さんのお気に入りの場面だとか。

「はい。高校生の自分が演じたからこそ、お気に入りと言えるシーンになったと思います」。


――ハツラツとしてましたが、人にぶつかりながら走ってました(笑)。

「最初はぶつからないように、自分からよけて走っていました。でも、『糸里は人のことなんか考えず、自分の道だけをまっすぐ行くんだよ』とアドバイスをいただいて、人にぶつかってもよけずに走るように変えました」。

――着物なので走り辛くなかったですか?

「私は走り辛いとは全然思いませんでした。ただ、カクッとなって下駄を見たら、真っ二つに割れていました。お団子を食べているとき太夫(最高級の遊女)が道中する(置屋から遊興に招かれて揚屋へ向かう)と気づいて走るシーンでも、同じように下駄が割れました」。

――この作品を撮る前にも時代劇は観ていたんですか?

「はい。昔から『水戸黄門』が好きでした。小学3年から中学1年くらいまで、学校から帰ってきたらテレビで流れていて、そのまま釘付け。里見浩太朗さんが水戸黄門を演じられていて、『人生楽ありゃ~』と曲が流れてくると、私もちょっと行進しながら、一緒に歌っていました(笑)」。

――夕方の再放送で観ていたんですね。

「そうです。あと、中学生になってからは黒澤明監督の『蜘蛛巣城』や『七人の侍』などの名作を観させていただいて、『時代劇っていいな』と思っていました。だから、加島(幹也)監督から『輪違屋糸里』のお話をいただいたとき、ビックリしたと同時にとてもうれしかったです」。

――若いわりには時代劇に馴染みがあったんですね。黒澤作品は演技の勉強もあって観たんですか?

「はい。『ソロモンの偽証』で成島(出)監督や他の中学生役のキャストと出会って刺激を受けて、『もっと映画を観よう』と思い始めた頃でした。小津安二郎監督の『東京物語』も観ました。理解するのが難しいところもありましたが、今観たら、また違う深いものが感じられると思います」。


――「輪違屋糸里」を撮っていたときのことは、まだ覚えていますか?

「忘れてしまったところもありますが、台本や原作を読みながら書いていたメモがあって、それを読み返していたら、少しずつ思い出してきました。台本には書かれてなくて16歳の私にはわからなかった感情が原作で描かれていると、書き写していました」。

――新選組や芸妓についても調べたんですか?

「はい。脚本を読んだら知らない言葉が多数あったのを勉強しました。歴史の教科書を読むような感覚でした。ただ、少年マンガの『銀魂』にハマっていた時期があったので、新選組は元から知ってました」。

――「銀魂」の真選組の元ネタとして。

「マンガの土方(十四郎)さんや沖田(総悟)さんが好きなキャラクターだったので入りやすかったし、歴史として勉強したいと思うきっかけになりました」。

――それにしても、「輪違屋糸里」は演技以前にやることが多かったのでは? 三味線とか京訛りとか……。

「初めての時代劇だったので所作も覚えなければならなかったし、やらないといけないことがたくさんありました」。

――何が特に大変でした?

「一番は所作です。歩くときに重心を低くして、頭の位置を変えずにスーッと歩かなければならなくて、少しでも揺れてしまうと、先生に『もっと丹田(へその下)を使ってやりなさい』と注意されました。そういうことを意識しながら、お芝居をするとなると、なかなか難しくて……。『水戸黄門』や大河ドラマに出演された方たちもそのように演じられていたんだと考えたら、私ももっともっとお稽古して、忠実にやりたい気持ちが溢れました」。

――楽器系はどうだったんですか?

「和楽器にはもともと興味がありました。三味線は小学生の頃、2カ月だけですけどワークショップに参加して『さくら』を弾いていたので、あまり苦労はなかったかもしれません。鼓は家でティッシュの箱を肩に置いて、ボイスメッセージで録ったリズムに合わせて、ポンポン叩いて練習しました。ティッシュの箱って、意外と良い音がします(笑)」。


――京訛りもだいぶ練習したんですか?

「京都出身のスタッフの方が多くて、いつでもどこでもご指導いただけました。食事中も休憩中も普通に話しているときも『京都だったら、こういうふうに言うんだよ』と教えてくださって、日常会話から京訛りを取り入れるようにしていました。方言を話す役も当時は初めてで、私は神奈川出身でほぼ標準語なので『方言っていいなー』と思っていましたけど、実際に京訛りを勉強させていただくことになって、本当に難しいと実感しました」。

――役としては、自然に口をついて出ないといけないわけですからね。

「撮影の2カ月前に京都に入って加島監督とリハーサルしていたときも、イントネーションが間違っていると、方言の先生が『そこはこう』とやさしく、時には厳しく教えてくださいました。撮影に入ったら、方言に関しては『もう完璧』と言っていただけるようになりました」。

――撮影現場を離れても、つい「~しまへんか?」とか言ってたり?

「撮影が終わったあとも、自分で気づかないところで、母に『何か訛っているね』と言われることがありました」。

 
 

16歳の少女だからひどいことをされても
「運命の人」と想いを抱いていたのかも

 
 

――糸里の心情面ですが、さっき出た「16歳ではわからなかった」というのは、たとえばどんなことですか?

「私は時代劇に初挑戦だったのと同時に、恋愛の映画も初挑戦でしたから、そこが大きな壁で、特に土方(歳三)さんへの恋心がかなり複雑になっていました。少女から大人へと成長するのは、中学生が高校生になるのとは違って、もっと成熟するものだと思っていたんです。その中で恋人のことより、友だちのきっちゃんのお腹の子どもを守ろうとする心情はどうしてもピンと来なくて、監督やスタッフさんの恋愛事情をお聞きしながら、糸里という役を作り上げていきました」。

――そこで話を聞いたり演出を受ける中で、わからなかったことが納得できたときもありました?

「最初に脚本を読んだときは、糸里は大人びているように思いました。小さい頃に両親を亡くして、引き取られた輪違屋で芸妓として生きてきて、年は16歳でも精神年齢は25歳くらいかなとイメージしてました。でも、その話を加島監督にしたら、『糸里は最初から大人っぽいわけではなくて無邪気さも持っているから、涼子ちゃんと同じ16歳か、もっと若いくらいの気持ちでやってほしい』と言われたんです。そこで糸里と自分の共通点も見つけられて、感情移入がしやすくなりました」。


――土方への想いに関しては、糸里は眼鏡をもらったことを大事にしていましたが、それ以外はひどいことばかりされてませんでした(笑)?

「そうですね(笑)。でも、そこが『16歳の女の子の恋心なのかな』と思いました。もし糸里が25歳の女性で、いろいろな恋を経験していたら、土方さんへの想いを切り捨てていたと思います。だけど16歳の糸里だったから、『土方さんは自分の運命の人で、これ以上の人とはこの先もう出会わない』くらいの想いを抱いていたのかなと思いました」。

――そういう思い込みは若い頃はありますね。土方に無情な頼みごとをされて、その場では毅然と引き受けながら、帰り道に橋の上で涙をしていた辺りはどう捉えました?

「あのときは土方さんにひどいことを言われても、きっちゃんを想う感情が大きかったと思います。最近になって、あのシーンで糸里は母性に目覚めたのかなという気がしてきました。それで自分の恋愛より、きっちゃんの子どもを守りたい気持ちになったんでしょうね。でも橋の上では、土方さんへの想いが自分にあることに気づいて……。やっぱり、あそこで糸里は大きく変わったと思います」。

――終盤は糸里が女性の強さを見せました。クライマックスの生死がかかる中で土方たちと対峙するところは圧巻でした。「あんたらにもう1枚踏み絵を踏ましたる」とか長台詞もあって、演技的にも勝負どころだったかと思います。

「とても緊張しました。土方さんとのシーンはいつもだと、溝端(淳平)さんが私の緊張をほぐすため一緒に歌ってくださったり、『あそこのお店がおいしいけど行った?』というようなトークをしてくださるのですが、あのシーンを撮るときは2人ともまったく話しませんでした。休憩になっても2人とも立ち位置から離れないで、またスタートがかかった瞬間に目を合わせる。そういう雰囲気の中で、自分の感情を糸里に近づけることができました」。

――それこそ2年経ってから観ると、自分で「すごいことをしていた」みたいには思いませんでした?

「達成感はありました。3回、4回、5回……とやらせてくださって『最初より全然良くなってるから、もっと行ける』と、段階をつけて挑戦させていただきました」。

――糸里には「何度生まれ変わろうと女子(おなご)がよろしいどす」という台詞もありました。涼子さんもそう思います?

「そうですね。たまに『男の人だったら楽だろうな』と考えるときもありますが、オシャレやメイクをするのは女性の特権だと思うので。中学生のときはオシャレに興味なかったのが、高校に上がってから友だちと一緒に古着屋さん巡りやメイクをするようになったので、そういうときは『女の子に生まれて良かった』と思います。でも、役で男性を演じることにはすごく興味があります」。

――「輪違屋糸里」が公開されると、今年もあと2週間となりますが、涼子さんにとっては高校を卒業した年でもありました。

「卒業した1カ月後に演技と英語の勉強のためにオーストラリアに行く選択をしたことも大きかったです。今は仕事がお休みの期間に海外に行っています。外国で生活していると、自分が外からどう見られているか考えられて、自身と向き合う機会にもなりました。演技を学びながら、人間としてもステップアップできた年だったと思います」。


――オーストラリアでの忘れられない体験はありますか?

「私が行ったオーストラリアの演技のワークショップは、一般の方もフリーに参加できるんですが、皆さん、演じることへの抵抗が全然ないように感じました。私には恥ずかしくてできない壁みたいなものがあったのに、ワークショップで一緒に演技していた海外の方は本当に自分をオープンに見せているので、そこが私のウィークポイントだと気づくことができました。なので、来年は内向的にならず、自分から積極的に出る年にしていきたいです」。

――具体的に目指していることもありますか?

「時代劇にもまた出演させていただきたいですし、コメディにも挑戦できたらと思います。日本とは違う海外のテンポも自分の役に取り入れて、表現していきたいです」。

――涼子さんにコメディのイメージはあまりありませんが……。

「真面目な役が多いので、そちらのイメージを持たれているかもしれません。でも、自分の周りの人には『あれは本当の涼子なの?』と言われます。役を上手く演じられているのかなと、良く捉えるようにしていますが(笑)、イメージから一歩外れて、おちゃらけた役もできたらいいなと思います」。


 
 


 
 

藤野涼子(ふじの・りょうこ)

生年月日:2000年2月2日(18歳)
出身地:神奈川県
血液型:B型

 
【CHECK IT】
2014年に映画「ソロモンの偽証」のキャストオーディションで、約1万人の中から主役に抜擢されてデビュー。主な出演作は、映画「クリーピー 偽りの隣人」、ドラマ「ひよっこ」(NHK)、「橋ものがたり『小さな橋で』」(BSスカパー!)など。「全国信用組合中央協会」のCMに出演中。主演映画「輪違屋糸里 京女たちの幕末」は12月15日(土)から有楽町スバル座ほか全国順次公開。正月時代劇「家康、江戸を建てる(前編)『水を制す』」(NHK/2019年1月2日(水)21:00~)、ドラマ「ひよっこ2」(NHK/2019年3月放送予定)、映画「影踏み」(2019年公開予定)に出演。
 
詳しい情報は公式HPへ
 
 

「輪違屋糸里 京女たちの幕末」

詳しい情報は「輪違屋糸里 京女たちの幕末」公式HPへ
 

 

 

 

(C)2018銀幕維新の会/「輪違屋糸里」製作委員会
 
 

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