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2021/0311Thu久保史緒里2021.3.11






東日本大震災から
今日で、10年が経ちました。



この10年という歳月の中に、
数えきれない方々の想いがあり、
変わりゆくものも、
変わらないものもありました。







今でも鮮明に当時のことを覚えています。
目の前に広がる光景も、
ニュースで見た光景も、
音も、天気も、空も。

その記憶を残しながら、
今、東京の地で、
自分に何ができるのだろうと考える日々でした。








当時、私は小学3年生でした。
帰りの会の直後、
数人は既に帰宅途中でのことでした。



私は教室にいました。
雪の降る中、校庭に避難し、
親が来るのを待ち続けました。
普段、混むことのない道は、
非常に混雑していて、
10分の道のりも、
この日は1時間以上かかったそうです。
クラスの最後の3人にまでなり、
不安でいっぱいでした。



当時、しちりんで
雪を溶かして生活用水としたり、
お水が手に入らず、
炭酸水だけが残っていたので、
炭酸水で歯磨きをしたりしました。
父親と顔を合わせたのは1週間後のことです。



特に覚えているのは、音です。
当時、校内放送で聞こえてきた、
避難訓練とは全く異なる先生の声。
隣のクラスでは、
本棚が倒れていました。
今でも、
当時と同じように携帯電話が鳴り響くと、
怖くて怖くて、
どうしたら良いのかわからなくなります。

久しぶりに行った学校の校庭は、
地割れをしていて、
校庭で何かできる状況ではありませんでした。
その年、卒業生だった姉は、
母校での卒業式は叶いませんでした。



当時、
小学生だった私の目に飛び込んできた光景は
今でも全て、はっきりと覚えています。
その記憶を胸に、
今、ここに生きさせていただいている私に
何ができるのかを、
ずっとずっと考えていました。





自分には、
あの日のことを話すことなど許されない。
良いはずがない。そう思っていました。
しかし、風化させないこと。
その責任が、私にもあるのだと感じました。

あの頃、守ってもらっていた私が、
今年、成人を迎えます。

これからは、誰かを守れるように。
今、ここに生きていることは、
決して当たり前ではないということ。
その有り難みを、改めて噛み締め、
自分にできること、
与えられた使命を胸に、
前へ、進んで行こうと思います。








大好きな東北の地を離れ、
自分がこの場所で、
このお仕事をさせていただいている意味。
どこにいても、
東北のことは常に頭にあります。 
大切なたったひとつの地元。
大好きな大好きな東北の力に
少しでもなりたいと心から思っています。
その為に、今を懸命に生き、
この場所で、
活動を続けて行きたいと思います。
いつの日かこの想いが、
大切な地元まで届きますように。






このブログが、
未来へ繋がることを信じています。








東日本大震災により、
犠牲になられた方々の
ご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された方々に
心よりお見舞い申し上げます。





乃木坂46 久保史緒里





2021/03/11 13:00

コメント(1063)

お疲れ様です。


久保ちゃん、ブログ更新ありがとうございます。
毎年毎年、本当にありがとう。

今回はあまり長くはならないつもりです。

前回のブログへのコメントでも書かせていただいたのですが、
このことに関して自分はどこまで言葉にしていいんだろう。
ずっとずっとそう考えていました。


10年
その年月をどう感じるかは人それぞれだと思います。
3.11、特にこのことに関しては。



ごめんね、
ここに書いていいのか分からないんだけど、
気持ちを少しだけ整理をさせてください。

10年前、春休みで部活動の真っ最中でした。
盛岡の高校に通っていて、電車が止まり親が迎えにくるのを何時間も待っていました。
同じ中学出身の友達の中には、30km近く自転車で帰った子もいました。
あの日は、夕方から雪が降ってきたんですよね。

本来はその翌週に釜石に行き、サッカーの試合をする予定でした。
岩手の内陸部は雪が残っているところもあるので、冬場は沿岸地域でトレーニングを行ったりするんです。

あと1週間ずれていたら、どうなっていたか分からなかったね。
自分達の親はそう言っていました。
確かにそう思いました。
そう思うと、その境目みたいなものって、
本当に紙一重なんだと思います。


陸前高田、小学生の頃はサッカーの選抜で冬によく行っていました。

奇跡の一本松

あの辺りに泊まっていたんですよ。
朝の散歩でチームの皆んなと海辺を歩いていたこともありました。


高校の新人戦で泊まった宿舎、
高校のサッカー部で復興支援に行った時に同じ辺りをバスで通った時にそこは海になっていました。

窓の外から見た景色は、
自分の知っている陸前高田じゃありませんでした。


あの時からあの場所に行けていないんです。
そんな自分が嫌でした。
立ち止まっていたままでした。


そして、あっという間に10年が経ちました。
本当にあっという間に。

個人的には、節目のように扱うのがあまり好きではありませんでした。
だって、常に心に残ってるから。
10年だから思い出すとか、3月だから意識するとかじゃなくて、ずっとあるから。

でも、きっかけになったのは事実です。
あそこにちゃんと足を運ばないといけない。
そう気待ちが一歩踏み出すための。


結局長々とごめんなさい。
思ったことそのままに書いたので、
まとまりのない文章かなと思います。



アイドルをより好きになったのは、
震災がきっかけでした。
好きというよりは、尊敬でした。
同年代の人たちが皆んなに勇気と元気を与えてくれている。
明るく照らしてくれている。
それは明らかでした。
あの人たちみたいに。
という風には行かないまでも、
できることを少しでも。
そう思うようになりました。

同じ岩手県民、東北民、
なんでもいい、支えたいなと。

あの時、沢山の光をくれた日本中、世界中の皆さん、本当にありがとうございます。




久保ちゃんの活躍は、
宮城、東北の希望の光だと思います。
その光を少しでも多くの人に知ってもらえるように、微力ながらもファンとして広めていけたらなと思います。



素敵なブログをありがとうございました。

未来へ繋がりますように。


明日も頑張ってね。
素敵な1日になりますように。


体験された久保さんからの、このブログは貴いメッセージとして被災された方々に真っ直ぐ清らかに届いているに違いありません。
今がある事を慈しみながら明日からも生きていきます!
久保ちゃん、今日も一日お疲れ様です♪♪
ブログ更新ありがとう!そして、勇気を持って当時のことを伝えてくれて本当にありがとうございます!

あの日のことは絶対に忘れません。
この日が巡り来るたびに、決して当たり前ではない日々の暮らしに感謝して、自分の周りの人をもっと大切にして、何があっても前を向いて生きていきたいと、より強く思います!

今日からまた1日1日を大切に、共に頑張っていこうね!!
東日本大震災はとても怖かったです。

今できること、しなきゃいけないことをしてちゃんと考えてやるということ。
風化させなあためにも

久保ちゃんは十分やっているよ!でもこれからも自分もそうだけどもっと伝えないと
久保ちゃんこんばんは!!

ブログ更新ありがとう

あの日から10年が経ったんだね!
僕も当時小学3年でその時はインフルで家に1人でいて突然の事ですごい怖かったし今でも鮮明に覚えてる
あの時は少しの揺れでもずっと恐怖があったし、今でも当時の東北の映像を見ると言葉にできないような気持ちになったりします。

宮城には震災の後に嵐さんのLIVEと乃木坂46のひとめぼれスタジアムでやった時に訪れてその時はあんまり観光は出来なかったから今度は観光しに行きたいなって思ってるよ

3.11のことは絶対に忘れちゃいけなしこれからこのことを知らない世代にもしっかり伝えなて聞かなくちゃいけないなって改めて思えた1日だったよ!!

久保ちゃんの思いは絶対地元に届いてるからこれからもいっぱい届けて行けるといいね
久保ちゃんブログ更新ありがとう。

私は震災から数ヶ月後、仕事の都合で仙台で暮らすことになりました。
当時、私の周りにも被災された方も数多くいましたが、私から震災の話を振るのは申し訳なくて出来ませんでした。

そんな中、実際に被災した人の話はとてもありがたいものでした。

暖かい人々と綺麗な景色、美味しい食べ物。
たった1年間いただけなのに宮城が大好きになりました。

だから、乃木坂3期生に宮城出身の子が加入するとわかった時は本当に嬉しかったです。

震災の経験を語ってくれてありがとう。

負い目を感じる必要は何一つありません。
あなたのその言葉で防災意識が高まる人がひとりでもいるなら、震災経験を話す価値は十分あると思います。

私も、これまで色々な人に宮城の魅力を伝えてきましたが、久保ちゃんは一瞬にして私が一生かけても伝えられない程の人に宮城や東北の魅力を伝えることができます。

私も久保ちゃんを通じて、新たな宮城の魅力に気づけたこともあります。
だから、これからも宮城や東北の魅力を発信していって下さい。

これからも応援してます。
久保ちゃん、ブログ更新ありがとうございます。

先日、河北新報社さんの『意見をつなぐ、日本が変わる。BLOGOS』の特集読ませていただきました。久保ちゃんや横川さんの想いに涙が出ました。強く強く胸を打たれました。震災について改めてよく考えるきっかけにもなりました。久保ちゃんが東北のことが大好きで東北のために懸命に活動しているのは伝わってきています。久保ちゃんの東北への想いは届いています。そして、もちろん震災への想いも。久保ちゃんのファンとして、そして仮にも当時のことを知っている一人の人間として、絶対にあの日のことを風化させないように、無駄にしないように、自分のできることを探していきたいと思います。関西に住んでいて当時小学校一年生だった自分には決して被災者方々と同じようには語れないです。それでも、何もしないよりは自分にできることを探していきたいと思います。こんな風に思うようになったのは間違いなく久保ちゃんのおかげです。久保ちゃんの想いを決して無駄にはしません。久保ちゃんにとってもあの日のことを語るのはとても辛いことだと思います。それでも毎年こうして想いを伝えてくださって本当にありがとうございます。久保ちゃんの想いは必ずたくさんの方々に届いていると思います。

自分のTwitterの宮城に住んでいるフォロワーさんが、「久保ちゃんの活動に勇気や希望をもらっている人がたくさんいる」とおっしゃっていました。久保ちゃんの活動や想いは間違いなく東北・宮城の方々に届いていますし、たくさんの方々の救いになっていると思いますよ。

自分も久保ちゃんのこのブログが未来に繋がると信じています。

東日本大震災により、犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

たいきち
生きていると ホント  すごい出来事を経験するね

コロナもだけど  強い地震は もう 止まってほしいね
私も小学校の卒業式間近でした。
幸い卒業式はできましたが、東北住みでしたので被害が大きかったです。特に原発の放射線被害は中学生の間も続き、風評被害は今でも消えません。
地震直後、晴れていた空からいきなり吹雪いてきたことを今でも覚えています。あまりの天変地異に世界の終わりを本気で感じました。
復興はまだまだ続きます。2011年は震災の年ではありますが、乃木坂結成の年でもありますね。これからも共に頑張りましょう。
ブログ更新ありがとう!
3月11日。忘れてはいけない日。
私は当日中学生で、史緒里ちゃんと同じように学校にいました。東北地方程の揺れではないけど今までに経験したことのない揺れで、あの日感じたことも、テレビで見た光景も、今でも鮮明に覚えています。

あの時幼かった史緒里ちゃんはきっとかなり怖い思いをしたと思うし、トラウマだと思うけど、毎年こうして言葉で想いを表してくれて嬉しいです。そして、強くなっているんだなと感じます。

家族のためにも、地元のためにも、これからも想いを発信して一歩ずつ前へ進んでいってください。
史緒里ちゃんが乃木坂として活動することで元気をもらってる人はたくさんいるよ(´ω`)

史緒里ちゃんの想いがこれからも未来へ繋がっていきますように。
ブログ更新ありがとうございます。

当時のことは鮮明に覚えています。
11年目も、この久保ちゃんのブログを読んだ後の気持ちを忘れずに、毎日を頑張ります。

いつか東北に行きます!!
 同じ東北民として、やれることをやっていきましょう。
頑張ろう東北!
久保ちゃん、こんばんは。
今年もこの日のブログそしてモバメありがとうございます。
あの日からもう10年…過ぎてみれば早かったような気もしますが…
自分はあの日、たまたま滋賀県の方に出張で行っていた為、家族も含め直接の被害はなかったのですが、当時はいったいどうなってしまうのか、先が見えない不安に苛まれていたのを思い出します。
自分が今まで経験した最も大きな地震は、阪神淡路大震災で、当時は大阪に単身で住んでいました。生きてきた中で、唯一死を覚悟したのがこの時でした。
久保ちゃんもコメントしてくれたように、今生きている事、生かされている事に感謝し、この災害の経験を伝えていかなければ、と思います。

今は別の意味で先の見えない状況が続いていますが、明けない夜はないと信じて、前を向いて生きたいですね。
そして落ち着いたら、また宮城はじめ東北各地へ、美味しいものを食べに旅行に行きたいです。

毎年このようにブログにて発信して頂きありがとうございます。久保ちゃんのような影響力のある人がコメントして下さる事が、この震災を風化させる事なく、人々が色々考える機会になっていると思います。自分も含めてね。
コロナも含めて、早く安心して過ごせる日が戻ってくる事を願っています。

じゃ、またね、おやすみ。
東日本大震災から10年経ったね。早かったようです長いよね。自分は阪神・淡路大震災を経験しました。当時震災が起こった時しばらく家に閉じ込められようやく脱出出来たのが2時間後でやっと外に出れたとパッと外を見たときいつもの景色がガラリと変わってしまってました。そしてしばらく時間が経ったとき火の手があちこちに上がり火の海になりました。東日本大震災とは全く異なる震災ですが神戸も何年も掛かりましたが復興しました。なので東北も必ず必ず復興します。被害の大きさは全く違うけど諦めず東北の皆さん頑張ってほしいです。そして震災の事は風化させてはならない。
久保ちゃんこれからも東北の皆さんそしてファンの皆さんにたくさんたくさん笑顔と元気を届けてね。
長文になってごめんなさい。
今晩のTBS、深夜の放映ドラマ(23:56-01:56)拝見
「小さな神たちの祭り」(TBC 東北放送 制作)
お別れの言葉を言う間もなく、天にさらわれた家族や知人。
自分だけ地上に取り残された錯覚が張り付いて剥がせない人。
千葉雄大くんと出演者allの熱演に涙腺決壊のドラマでした。
もし、10年後にリメイクするような機会があれば、
ヒロイン役に久保史織里のクレジットのエンドロールが出るバージョンで観たいです。
くぼちゃん、こんばんは。

10年前の3.11。私は名古屋にいて、東京とテレビ会議していました。
画面の向こうの相手が、まず、地震だ!と。画面も揺れて、しばらくして、こちらにも揺れが来て。

その時、私は、阪神淡路大震災を思い出していました。
1995.1.17当時も私は名古屋にいて、早朝眠っていたら、大きな地震で起こされて。
揺れは長く続いていて。
長かったな・・・
その後、メディアは大混乱。状況が把握できたのは、ずいぶんと経ってからでした。

この日以来、長い地震は、どこかで大きな地震が発生したことを意味すると、学びました。

・・・そして、2011.3.11
長い地震。

私は、阪神淡路大震災も東日本大震災も決して忘れない。
たまたま名古屋には大きな地震は発生していないだけで、いつ来てもおかしくない。

そういう気持ちで過ごしています。

覚悟をもって。今を生きていかなきゃね。

じゃーね!
久保ちゃん更新ありがとう
自分も震災のど真ん中にいました

何が起こったのかただ部屋中めちゃくちゃになり
母親を探すのに大変でした雪の中
山に避難しました
ただAKBの人たちが
笑顔を届けてくれたのが良かったかな
10年もたちまた大きな地震が来ました

本当にもう来ないで欲しい
久保ちゃんも東京で気をつけてね
こんばんは。

もう日付が変わってしまいましたが、
東日本大震災から10年。

揺れた瞬間は近くに知っている人は
誰もいませんでした。

当然電車など動いているはずもなく、
電車なしで到底家など
帰れるわけでもない、
さらに電話も通じない。
帰れなかったとして
寝る場所の当てもない。

最寄りの駅に行ったが
バス停は大行列。
仕方なく歩く、
自分の土地勘を頼りに。

バスの操車場を見つける。
始発のバスに乗る。
駅で客が乗ってくる前なので
座る。

いつの間にか寝ていた。
精神的にも体力的にも
既に疲れ果てていた。

進みが遅く座るのに疲れて、
乗り継ぎできるところで
バスを降りる。

乗り継いで終点に着く。
このとき既に21時前。
まだまだ先は長い。
結局帰れはしました。

日本に住んでいる以上、
どこにいても地震に
直面することはないわけでは
ありません。

東日本大震災で
亡くなられた方、
心よりご冥福をお祈り
申し上げます。
しおちゃんは多くの人に夢や希望を与えられていると思います。僕もその1人です。
これからも見守っています!
今日久々に実家の家族と電話をしました。
地震が起きた当時母親は育休で休んでいて家で報道番組を見ていたそうです。東北で起きた地震なのに僕たちが住んでいる徳島にも津波が津波警報が発令されてあまりの規模の大きさに恐怖を覚えたと言っていました。

僕は高2の時、気仙沼で行われたインターハイに参加した際に震災で津波の被害があった地域の近くの旅館に宿泊しました。辺りはなんの変哲もない漁場で、「7年でここまで復興するのか」と驚きました。
その旅館に向かう途中の上り坂に「この位置まで津波が来ました」と書かれた看板があり、ずっとどこかでテレビの中の出来事だと思っていたものが現実で起きたことなんだと身をもって強く感じたのを今でも覚えています。

自分は徳島出身で、以前まで東日本大震災に対して「日本で大きな地震が起きて大変なことになった」くらいの認識でいましたがこの出来事を通して遠い場所の話ではない、いつ自分が被災してもおかしくないことなんだと意識するようになりました。

震災当時まだ生後半年だった弟が今では小学4年生に、当時小学4年生だった僕は今年無事成人式を迎えられました。
今は災害現場での活動を目的としたロボットの制作に携わりたいと思い機械系の学部がある大学に進学しています。
毎日感謝して精一杯生きていこうと思います。
久保ちゃんブログ更新ありがとう。

あの日から10年。
記憶が薄れてしまっている部分もあるけれど、
スーパーやホームセンターに行った時に感じた
経験したことの無い災害に直面して
誰もが必死に今日を生きようとしている空気と、
電気が通ってテレビをつけた瞬間に飛び込んできた
現実に起こっているとは到底信じられない映像を
見た時の衝撃は
今でもはっきりと覚えています。

僕の記憶を少しだけ。
10年前、
小学5年生だった僕は帰りの会が終わって
友達数人と学校の玄関を出たところでした。
揺れがだんだんと強くなっていく中、
1人の先生が飛び出してきて
万が一のために自分達を校舎から離し、
揺れてる間も揺れがおさまった後も落ち着くまで
ずっと優しく声を掛けてくれました。

その日の空は真っ白な雲に覆われていました。

あんなに不安な気持ちになったのは初めてでした。
初めて不安が原因で体調を崩すという経験もしました。

数日後、当時塩釜に住んでいた叔父の職場が
大きな被害を受けたと聞きましたが、
詳しく聞くことはどうしてもできませんでした。

今度会ったらあの日のことを
聞いてみたいと思います。

今年もブログを書いてくれて
本当にありがとうございます。

今を生きていることの有難み
また、
あの日を経験して今を生きている者として
伝えていくべきことがあることを忘れずに
生きていきます。
微力ですが
久保ちゃんが使命を果たすための力になれるように
自分に出来ることを考えていきたいです。

では、また書きます。

僕も今は地元の東北を離れて暮らしていますが、
地元に居た時よりも東北のことを考えたり、
東北のことがもっと好きになったのは
紛れもなく久保ちゃんのお蔭です。
東北の素晴らしさに気づかせてくれてありがとう。

久保ちゃんの想いが
多くの方の心に届きますように
10年前のあの日、しおちゃんや乃木坂や坂道のみんなが無事で本当に本当に良かったし感謝しています!
でも10年前のあの日を絶対に忘れずに毎日一生懸命生きないとだね!
改めてあの時無事でいてくれて本当にありがとう!
山形と福島の親戚が無事だったことに感謝し、亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします
修学旅行が京都奈良から宮城(仙台)福島に変わった時はちょっとショックだったけど今になっては行けてよかった!って思ってるよ。
久保ちゃん毎年ありがとね、絶対にあの時のことは忘れないよ。
もう、あれから10年が経つんですね。
あの時は自分は呑気に吉祥寺にそばを食べに行っていました。
店を出た直後地面の揺れと消えた信号、動かない車そして
上下に激しく動いていた電線の光景を今でも思い出します。
その後、その年の夏に仮設住宅の電気系統の工事をするために福島の地を踏みました。
その光景も昨日のように思い出されます。
当時も今もなんの力もない自分にもどかしさを感じながら、51歳を生きています。
只々皆様が笑顔でいられますように願うばかりです。
しおりちゃん、大好きです
久保ちゃんブログ更新ありがとう。
河北新報社の記者の方との対談読ませていただきました。
被災された方の中でも震災のことを語ることに抵抗がある方は多くいらっしゃるのだなと改めて知りました。
僕は小学2年の頃に大阪で震度3の揺れが起きました。大阪でも強い揺れだったのにテレビをつけると東北での想像を絶する光景が目に入りました。あの頃の衝撃は今でも鮮明に覚えています。
東北で被災された方々には大切な教訓を残してくださったと思います。
それを活かすことができた時がありました。それが大阪北部地震のときです。通学路を歩いていたときに今までに感じたことのない揺れを感じました。震源地とかなり近かったため、地震の本当の恐ろしさをはじめて知りました。ただ、地震発生後は速やかに学校の校門を通り、グラウンドに集合し、安否確認を取ることができました。
地震から得た教訓はたくさんあります。ただその中でも生きることができていることに感謝をすることが何よりも大切だと思っています。東日本大地震の犠牲者の方たちの分まで力いっぱい生きていこうと思います。
ブログ更新ありがとう。
僕も福島で震災を経験しました。
小学生の時の記憶なんてほとんど残っていないけれど、この記憶だけは鮮明に覚えています。あの経験を無駄にしてはいけないと思います。これから先、地震があっても被害を最小限に抑える努力を。

さまざまな辛い思いや怖い思いがあるだろうけど、そんな中久保ちゃんなりの言葉を選び、発信をしてくれたこと、心より感謝しています。僕も地元東北のために何かできることを探して行こうと思います。
今日久々に実家の家族と電話をしました。
地震が起きた当時母親は育休で休んでいて家で報道番組を見ていたそうです。東北で起きた地震なのに僕たちが住んでいる徳島にも津波が津波警報が発令されてあまりの規模の大きさに恐怖を覚えたと言っていました。

僕は高2の時、気仙沼で行われたインターハイに参加した際に震災で津波の被害があった地域の近くの旅館に宿泊しました。辺りはなんの変哲もない漁場で、「7年でここまで復興するのか」と驚きました。
その旅館に向かう途中の上り坂に「この位置まで津波が来ました」と書かれた看板があり、ずっとどこかでテレビの中の出来事だと思っていたものが現実で起きたことなんだと身をもって強く感じたのを今でも覚えています。

自分は徳島出身で、以前まで東日本大震災に対して「日本で大きな地震が起きて大変なことになった」くらいの認識でいましたがこの出来事を通して遠い場所の話ではない、いつ自分が被災してもおかしくないことなんだと意識するようになりました。

久保ちゃんのブログを読んで東北について知れたことがいっぱいあります。久保ちゃんの活動で笑顔になれた人がたくさんいます。
これからもずっと応援しています。
久保ちゃん今日もお疲れ様

東日本大震災から10年、今日は例年よりもその想いが強い年でした。
それは10年という月日ということだけではなく、乃木坂46を好きになって初めて迎えたからということもあるような気がします。
当時僕も久保ちゃんと同じく小学生でした。とは言え僕は埼玉出身のため、東北で被災した方々に比べると苦労も恐怖も少なかったと思います。だから募金などの間接的な支援以外自分に出来る事は何もない。
そう考えていました。しかし今年は様々なニュースやインタビューなどに改めて目を通しました。そのきっかけは間違いなく久保ちゃんのインタビューを読んだからです。
あのインタビューを読み終わった後涙が出てきました。こんなにも胸を打つ文章を読んだのは初めてだったかもしれません。自分は何も知らなかったことを思い知らされました。もっと知りたい、いや知らなければならない。それも今の時代を生きる自分のやらなければいけないことなのだと思いました。こんなふうに考えるようになれたのも久保ちゃんがきっかけです。ありがとう。

久保ちゃんはきっとこれからも震災の件で自分のことを責めてしまうことがあると思います。でもそれは誰よりも真面目で、地元を愛しているからなんだとインタビューを読んで強く思いました。でも少なくともここに1人久保ちゃんのおかげで震災への意識が変わり、これから自分の足で様々なものを見てそれを伝えていきたいと思うようになった人間がいます。それが少しでも久保ちゃんが自分を許すための一助になれたら良いなと思います。

ずっと大好きです
河北新報社の記事拝見しました。久保ちゃんの今の活動で充分東北の皆さんの勇気になっていると思います。東京で楽しく唄っている姿をこれからも☀️
久保ちゃん。本当に10年前のあの日どんなに辛く怖かったか。。よくここまで乗り越えてきたね。もし辛くなった時は2013年11月3日を思い出してごらん。仙台の、東北の夢が叶った日だよ。あの光景を思い浮かべてみて。心が絶対に熱くなるし久保ちゃんももっと頑張ろう!っていう気持ちになれるから!だから、みんなで一つになって頑張ろうじゃないか!!仙台出身であることに誇りを持って邁進していってね!٩(^‿^)۶
しーちゃんこんにちは☺️
今回のブログ読みながら泣いてしまいました。
私は震災当時の記憶はあまり残っていないのですがしーちゃんがこうしてブログに書いてくださって震災を絶対に忘れてはならないなぁと思いました。しーちゃんの優しさにいつも救われています。
しーちゃんいつもありがとう。大好きです❤️
自分は直接的な被害はないけど、石巻市の出身です。
当日変わり果てた地元を見た時言葉を失いました、こんなことが現実に起こるのかと…。

何も出来ない自分に無力さも感じました。
しーちゃん、BLOGOSでもそうだけど、葛藤や負い目があって言えなかったことを”命を思う日”にブログで発信してくれてありがとう。その行動が素晴らしいです。
久保ちゃんの思いが多くの人に届くことを願ってます
久保史緒里さん


おはようございます。



この沢山のコメントひとつひとつが未来へ繋がっています。その言葉ひとつひとつが未来へ繋がっています。必ず。
自分を守る為、そして愛する人を守る為に何が出来るのか。防災を行動に移すこと。今すぐに。

未来の為に。
久保さん おはようございます
ブログ更新ありがとうございます

震災から10年。
あの日、テレビで見た光景は忘れません。
とても衝撃的で、恐怖を感じたことを今でも覚えています。
あの日のことは、絶対に忘れてはいけないと思います。
そして、このブログは、必ず未来に繋がっていると思います。

東日本大震災により犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

これからも体調に気をつけて
頑張って下さい!!
応援してます!!
ありがとう
史緒里ちゃん、おつかれさまです。

BLOGOS拝読しました。
自分には募金するくらいしかできない、
そう思ってましたが、
あなたと出会うことで東北に興味を持ち、
機会を作って現地へ行き、
できることをしようと考えるようになりました。
他にもそんな人、たくさんいると思います。
これからもできることを考え、
行動していきたいと思います。
辛い体験を言葉にしてくれてありがとう
久保ちゃんの紡ぐ言葉は必ず誰かの心に届いているよ
同級生としてこれからも応援してるよ〜
新しい朝が来ました。11年目の朝ですね。

いつまでもこの穏やかな日が続きますように…

そして、東北の皆さまの想い、祈りが永久に未来へと繋がり続けますように…

今日も素敵な笑顔で

いぬお
久保ちゃん、ブログ読みました。
今の史緒里ちゃんの活躍が、たくさんの人達に勇気と希望を与えてると思いますよ。
まだまだ復興が終わったわけではないですが、僕たちも小さなことかもしれませんが今やれる事をやろうと思います。
史緒里ちゃんも無理をしない程度に頑張って下さい。
これからも応援します。
久保ちゃん話してくれてありがとう。風化させちゃいけないね。
昨日は音楽の日を観ました。
素晴らしいアーティストの皆様が熱唱されていました。
ファンキーモンキーベイビーズさんが1日限りの復活をして、楽天の球場で、あとひとつを歌われた時、当時の楽天、田中投手が出て来て優勝を決めるシーンも流れて、とても感動しました。

音楽の力は凄いですね。
久保ちゃんもこれからも音楽の力でたくさんの人達を元気にしてくださいね。




東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

久保さんブログ更新ありがとうございます。
久保さんだからこそ伝えられることがあると思います。
それは、ブログのコメント欄を見てもわかると思います。
これからも応援しています。
乃木坂46は、東北でのライブを続けてくれて、ありがたかったです。

ライブに合わせて東北小旅行をしたら、おかげさまで、気仙沼に勤めていた友人にも会えました。

それでは、これからも活躍を楽しみにしています。
史緒里さんに是非聴いてもらいたい曲を思い出しました。
かなり古い曲ですが、オフコースさんの「君住む街へ」です。

きっと、史緒里さんの心に響くと思います。
お時間がある時にぜひ…

では、また書きますね

いぬお
久保ちゃん、こんばんは。
wacciさんの「大丈夫」、初めて聴きました。
今まで寂しい時は、コブクロさんの「miss you」を聴いて一人で寂しい気持ちに浸っていましたが、自分を励ます事も必要だと思う事ができました。久保ちゃん、ありがとう!
入試休みも終わり、あと1週間行ったら春休みなのでまた月曜日から頑張りたいと思います。
今日もお仕事お疲れ様でした。
2021.03.12(FRI)
久保さん、大切なブログの更新ありがとうございます。

既に一日過ぎてしまいましたが僕なりの言葉でお伝えさせて下さい。

コメント欄の中にも沢山の方の想いがあり、一人ひとり形は違うけれど、どれも大切にしなければいけない想いだなと思います。

命と真剣に向き合って生きている方の言葉は本当に重いですね。

僕自身、大型地震は何度となく経験してきました。

しかし東日本大震災で被災した者ではありません。

どんな言葉を並べようと「その時」を見たのは画面越しです。
自分が生きている世界で、この日本で、海をひとつ跨いですぐそこで確実に起きている現状をただ見つめていただけの人間です。

多くを失った方とその苦しみ。
そして多くを失った訳では無い、という事に苛まれている方の苦しみ。

その真の苦しみを理解する事は出来るのか。
理解していいのか。
理解した気になってしまっていいのか。

やはり当事者とそうでない者とでは大きな隔たりがある様な気がしてしまいます。

本当に力になるのかも分からない僅かばかりの募金をして少し参加したつもりで居た自分が恥ずかしいです。

僕はただの傍観者です。

この10年間。
自分には何か出来なかったのか、何もしてこなかったのか。
そう考えても経過してしまった10年は戻ってきません。

実際に行動に移せた方がどれだけ居たのか。

行動に移せた方は本当に素晴らしいですね。
日本の宝だと思います。

あまりにも遅すぎる一歩目ですが本当に人の為になる事とは何かと向かい合って生きていこうと思います。


久保さん、皆さん、きっかけをありがとうございます。


最後になりますが、
久保さん、貴方の両手は弱くて脆い両手ではありません。
強くて逞しい両手です。

ご自分のペースで構いません。
その両手であの時間に取り残されてしまった方、前になかなか進む事の出来ない方に手を差し伸べて「道はここだよ」と教えてあげられる道標の様な存在になってあげて下さい。


その為の応援と、自分に何が出来るのか模索していこうと思います。

未来に繋げてみせます。

今日を生き抜いてくれてありがとうございます。

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※本名ではなく、ペンネーム等での投稿をおすすめいたします。

※一度投稿したコメントは削除できませんのでご了承ください。

「FAQ」によくあるご質問の回答を掲載させていただいておりますのでご確認ください。


PROFILE

久保 史緒里

2001年7月14日生
血液型:O型
星座:かに座
身長:161cm
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